新渡戸稲造 -人材育成の規範-

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新渡戸稲造とは

新渡戸稲造博士は文久2(1862)年8月3日(新暦9月1日)盛岡に生まれました。明治8年13歳の時、東京英語学校に入学。この頃から生涯の親友となる内村鑑三(キリスト教思想家)、宮部金吾(植物学者)らと親交を深めます。

その後、父祖の志を継ぎ、農学を修めるため、明治10(1877)年、内村、宮部とともに、札幌農学校に入学しました。東京大学に在籍後、米国のジョンズ・ホプキンス大学、ドイツのボン大学、ベルリン大学、ハレ大学の留学を経て、明治24(1891)年に札幌農学校の教授となります。明治27(1894)年には勤労青少年のための遠友夜学校(えんゆうやがっこう)を設立しました。日本初の農学博士となり、その後、法学博士の学位も得て、日米で教鞭をとっていました。名著とされる『武士道』が書かれたのはこの頃です。

大正9(1920)には国際連盟事務次長に就任し、国際間のかけ橋となる仕事をしました。

幅広い知識のみならず、品位ある自律的な個人の育成、アイデンティティの確立、そして国際性とリーダーシップの醸成を目指した教育を行うための特別教育プログラムである本カレッジの名称は「新渡戸 稲造の精神」を受け継ぎたいとの思いが込められ、稲造から学ぶべき三つの精神を新渡戸カレッジの教育理念としています。

新渡戸 稲造の精神は以下の「言葉」の中からも読み取れます。

  • われ太平洋の架け橋とならん
    (1883年9月 東京大学入学面接にあたって文学部長 外山 正一との会話)
  • 「学ぶ者の心に深く浸潤し、人柄に表れるようになって初めて、知識は真の知識となる」
    (新渡戸 稲造辞典 294頁 教文館)
  • 「人間は、それぞれ考え方や、ものの見方が違うのが当然である。その違いを認め合い、受け入れられる広い心を持つことが大切である。」(武士道)
  • 「武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。」(武士道)
  • 「大学に入って何の職業に就(つ)いて、何ほどの月給をもらふかなどといふことは、抑々(そもそも)末のことで、もっと大きなところへ到達しなければならない。」
    (新渡戸 稲造「内観外望」『新渡戸 稲造全集 第6巻』所収 1969年 教文館)
  • 「武士の訴えてきた使命よりも、もっと気高く、もっと幅広い使命が今日、私たちに要求されている。」
    (武士道 奈良本 辰也訳 ビジュアル版 対訳 武士道 三笠書店)