応援メッセージ

日本は国家として戦争に負けたけれど 私、個人では、絶対に負けないと思って留学し、3大学を表彰状付きで卒業しました

プロフィール

鈴木明子(すずき・あきこ)さん
日本作業療法士協会初代会長・名誉会員
1955年 北海道大学教育学部卒業

北海道網走市生まれ。中学校教諭の後、聾児や肢体不自由児の特殊教育に当たり、1960年フルブライト全学支給でコロンビア大学医学部に留学。作業療法を学び、日本人初のOccupational Therapist, Registeredを取得、ニューヨーク市立病院に勤務後、1963年帰国。1972年ボストン大学修士(M.S.)、1982年ウェイン州立大学Ph.D.in Higher Education修了。Eastern Michigan University客員教授。アメリカでは留学生としては異例の好遇を受け、4人の恩師は死の1ヵ月前まで手紙を下さった。日本では「日本紳士録」に載り、「努力を続ける人を誰かが見守っている」と後輩に伝えたい。日本の作業療法界のパイオニアとして、その養成のためあらゆることに尽力する。たった1人からスタートした作業療法士は現在、国内で約8万人になった。People to People, International、フルブライト同窓会、コロンビア大学同窓会会員。

いつでも、どこでも一番に

ax8a7086私は子どものころから背が高くて体格もよく、女学校ではバスケットばかりしていました。でも国体出場の直前に突然病気が見つかり、バスケットはやめました。ずっとスタメンでやってきたのに、外れるかもしれないと思うと悔しくて。昔からずっと何でも一番でないと気がすまないほどプライドが高く、負けず嫌いだったのです。

中学校教師を経験した後、特殊教育の分野で聾児や肢体不自由児の教育に当たりましたが、医学を知らないのは危険だと思い、先進国であるアメリカに留学しようと決めました。フルブライトの奨学資金でコロンビア大学医学部へ留学が決まり、アメリカに渡って最初の2週間、オリエンテーションに参加したときのこと。カルチャーショックで、初めての海外に緊張し、何もしゃべれずストレスでちぢこまっていました。でも1週間後、覚悟を決めました。

というのも、私はアメリカに来るとき、「日本国はアメリカに戦争で負け、私が負けたら2度負けたことになる。それはアンフェアである。私個人は絶対に勝とう」と決心していたのです。だから何としてもこの状況を打破しなければいけない。全て、こちら次第の世の中でしょう。自分に責任を持たないと。考えた末、英語は「I」で始まるので、皆の前でまずは「アーイ」と大声で叫びました。すると全員がこちらに注目してくれたので、頭の中で(次は動詞で…)と文法を考えながら、何とかしゃべり出すことができました。それから皆が話かけてくるようになり、どうにか英語で会話するようになったのです。

コロンビア大学に入ってからは、夜、ぐっすり寝てしまわないように、寮の守衛室の近くに教科書を持ち込んで勉強したり、ノーベル賞候補の先生の講義を受けて、「この人がノーベル賞を狙うなら私も負けられない」と神経学で唯一人、90点でクラストップの成績をとったり、とにかく負けず嫌いの性格で走り続けてきました。すると、驚くことに大学の理事会が「今後、明子の授業料はすべて理事会が負担する」という特例中の特例措置をとってくれました。アメリカ人にもしない優遇ぶりでした。フルブライトの奨学金は1年だったのですが、3年間も勉強を続けることができました。

この職種を、日本に持ち帰りたい

ax8a7122まだ日本になかった「作業療法」という職種を学んだコロンビア大学は、私にとってすばらしい場所でした。例えば、PTとOTの学生には白人と黒人の2体の御遺体が解剖学実習のために提供され、身体の仕組みを知ることができました。このとき私は、たった1枚の皮膚の下は白人も黒人も全て同じという当然のことに触れ、人種差別の愚かさを痛感するなど、貴重な経験も数多くしました。授業はたいへんでしたが自由に学ぶことができ、頑張れば成果を認められ、教授にもクラスメイトにも本当に良くしてもらいました。

アメリカの作業療法士の国家資格Occupational Therapist, Registeredを取得し、ニューヨーク市立病院で臨床を経験し、帰国後は毎日やることが山積みでした。制度や法律が全くないのでそれらの整備に始まり、「日本作業療法士協会」をつくって初代会長を務め、教育機関の設立に奔走し、教科書がないので自分で書き、国家試験の問題も一人で書いていました。寝る時間がないくらい忙しかったのです。

環境がどんなに厳しくても、私は「日本にこの職種を持ち帰り、手足が不自由な人々や発達障害の人々、心を病む人々に少しでも幸せな生活を送ってもらいたい」という意志があったので、何でもチャレンジできたし、あらゆることを乗り越えられました。また、多くの人が私のサポーターになって窮地を救ってくれました。

だから若い人たちも何かやりたいことがあって、その力が出せるなら、どんどん挑戦して世界中で活躍してほしい。大いに期待しています。私もまだまだ自分ができることを続けたいと思っています。


フェローの流儀:人生で大切にしていることは?「ダメと言われたり、壁があると、門戸を開きたくなる」

できないと思われていること、難しいこと、ムリなこと、でもやらなきゃいけないことに直面すると、「私がどうにかします」と引き受けるタイプです。とにかく負けず嫌いですから。だけど無茶苦茶な方法はとりません。上手に作戦を練って、使える手段は何でも有効に使います。その都度、味方を増やします。グローバルに。人間は全て同類ですから。

例えば自分の経歴。コロンビア大学の卒業生とフルブライターはいろいろな分野で活躍していますから、交渉ごとにはすごく効力を発揮してくれます。でも、もちろんそれだけじゃダメよ、自分個人の信念をもって正しい理論がなければね。